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[検索語彙への応答] 信長の野望 嵐世記 (6)

今回も「嵐世記 攻略」などで検索サイトから訪れるヒトへの応答。



前話で人材不足解消について触れた。そろそろ、綴ってきた内容を実戦で・・・


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綴ろうと思えば小手先テクニックがまだまだ残っている。嵐世記を攻略する最低限のヒントは載せた。
理論だけではアレなので実戦に移る。例として織田信長公を中心にプレイする。以降敬称を略。

嵐世記ではゲーム開始時にシナリオと大名家を選択することになっている。



1560年 5月の桶狭間合戦あたりが楽しめるところ。



織田家が支配した尾張とは現在の愛知県の一部。

嵐世記では、尾張に那古屋、清洲、犬山の3つの城が設定されている。ゲームの仕組みとして、同じ国内に3つの城がある場合、2つ以上を手にいれるまで他の国へ攻め入ることはできない。



織田信長の織田家は尾張の守護大名 ( その国を代表する大名家 ) ではなく、清洲三奉行のひとつに過ぎなかった。
その頃の尾張の守護大名は斯波家であった。守護代である織田信友が乗っ取りを企て斯波家当主を亡きものにした。
やがて織田信長が斯波家の味方として織田信友を討つ・・・

嵐世記において、1534年5月信長誕生、1546年1月 信長元服 などのシナリオでは清洲城、犬山城は斯波家に支配されている。

嵐世記において、1556年8月信行謀反のシナリオでは那古屋城が織田信行一派に支配されている。
重臣の柴田勝家、林秀貞、かつて斯波家に仕えていた織田信安、国人衆から仕官した本多利久などが信行に仕えている。



一説によれば佐々成政も織田信行側であったとされているが、ゲーム中では織田信長の側に仕える設定となっている。
このシナリオでゲームを開始すると清洲、犬山2つの城を支配している。よって他国を攻めることは可能。仕官している武将数も12となっているので不足は無いだろう。
史実では弟を討ったことになっている。強引に身内を倒すよりも勢力を拡大した後から弟や重臣たちを従属、服従させる方が良いのかも・・・

1560年、桶狭間にて今川義元を討ち取ったことで織田信長の名は日本中に知れ渡った。
今川義元は上洛しようとした原因は諸説ある。いずれにせよ、駿河と三河から大勢の軍隊を率いて京都へ向かう途中であった。その後、織田信長は美濃を手に入れ、岐阜を拠点に勢力を拡大してゆく。



将軍家の血をひく足利義昭を奉り、近江の観音寺城を拠点とする六角佐々木家を倒し、京都へ上った。弟や息子を伊勢方面の大名家の養子として送り込み、尾張より南への勢力を伸ばした・・・といった具合の展開は多くのヒトがご存知の通り。

嵐世記をプレイするにあたり、史実に従いゲームを進めようとすると難しいかもしれない。美濃の斎藤家には優れた武将も多く、同国内の姉小路家もどちらに加勢するか読めない。

そこで、桶狭間の合戦後、美濃よりも先に三河を手に入れる



目的は2つ、
・美濃への出撃拠点を手に入れる
・松平家に古くから仕える家臣を織田家に召抱えること。

もともと三河は松平家が支配していた。
松平元康 ( 後の徳川家康 ) の父である松平広忠は若くしてこの世を去った。当時元康は7歳だったとされているが、幼い身で大名家の当主は務まらない。松平元康は元服するまでの間、今川義元の側で暮らすこととなる。その間、三河は実質今川領となった。
古くから松平家を支えてきた家臣たちは今川家に忠誠を誓うだろうか?
松平元康が元服して今川家から独立するまでの間、忠誠を誓ったフリをしていただけなのだ・・・

桶狭間の合戦の後、松平元康が今川家から独立し、名前を徳川家康と改めると、織田家との間に同盟が成立する。
よって三河は徳川家の支配下となり、その後では三河を手に入れることはできない。

三河の岡崎城、吉田城を手に入れたら、軍団を二つに分け美濃に攻め入る

まず、織田信長の一族を三河に派遣する。それから、軍団を新設する。
ここで言う一族や一門とは血縁関係にある者を指す。1560年の段階で、弟の織田信包や織田信行の息子である織田信澄が登場している。



・軍団を新設し、尾張を第一、三河を第二に分ける。
・織田信包もしくは織田信澄を第二軍団の軍団長に任命する



合戦直後は兵が疲弊している。三河を手に入れた直後に出陣する必要はない。負傷兵の回復を待ち、訓練を積んでから出撃する。その間、内政に注力し三河の石高を上げたり、合戦でダメージを受けた城を改修しておく。

嵐世記ではひとつの軍団につき10部隊まで出撃可能だ。よって同時に出撃する軍団数が多いほど数で有利となる。
ということは・・・
美濃よりも先に三河から南信濃へ攻め入る。南信濃を第三軍団として、尾張、三河、南信濃の3軍団を合わせて出陣すれば美濃を攻略しやすいのでは?
それより前、南信濃では3つの大名家が争っていた。しかし、この段階で南信濃一帯は武田家が支配している。武田家の騎馬隊は当時最強と称えられた。ゲーム序盤から南信濃へ攻め入るのは難しいかも・・・美濃を手に入れた後からでも遅くはない・・・

複数の軍団で攻め入るコツが判れば伊勢志摩の攻略も難しくないハズ。
陸路だけを考えれば尾張からの出陣以外は不可能と思いがちであるが、水軍衆と親交を深めておけば三河から伊勢への出陣が可能となる。
伊勢志摩では北畠家と長野家が君臨し、北畠家が2つ、長野家がひとつの城を支配している。2つ以上の城を手に入れるには北畠家へ攻め入る。
合戦時、長野家がどちらに加勢するかは不明である。味方につけるには早めに従属させるか、合戦前に貢物を送り仲良くしておくのが良いだろう・・・



美濃と伊勢を支配したら、近江の観音寺城へ複数の軍団で攻め入ることができる。六角家が強いだけでなく、同国内の浅井家が味方に付くか敵に回るか不明。もし、出陣する部隊が少ないなら先に伊賀を手にいれて、3軍団で攻め入れることも可能。
既に述べた通り、上洛を優先するならば観音寺城を落とすよりも、伊賀から京都へ上るのが近道

織田家の躍進を支えた家臣のうち柴田勝家、丹羽長秀、明智光秀、滝川一益を織田四天王と呼ぶ。その中の一人、滝川一益は当初六角家に仕えていた。
※ 1556年以降のシナリオでゲームを開始すれば、滝川一益は織田家の家臣として登場する。



1534年5月信長誕生、1546年1月 信長元服などのシナリオでプレイするなら、観音寺城の滝川一益を確実に捕縛し、家臣として召抱えたいものである。
嵐世記の合戦において、敵方の武将を捕縛できるか否かはランダム。逃げられてしまったり、討ち取ってしまうこともある。
召抱えたい武将が敵方に仕えているならば、早めに引き抜くか、内応 ( 合戦の最中にプレイヤー側に寝返る ) の約束を交わしてから城攻めに臨むと良い・・・

本日も最後までご覧いただきありがとうございます。

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テーマ : PCゲーム
ジャンル : ゲーム

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